私は一生懸命無造作ヘアーを作っているのが見て取れる後頭部に何か得体も知れない寂しさを感じます。
それは、加工されているのに、そこにはもうオリジナリティはなく、一つの髪型、記号の一種類のように感じるから。
なのではないか?と電車に運ばれながら行き着いた今日の時点の結論。

自分が無頓着過ぎる事を自覚しているのをほったらかしたまま
そんな事をぼんやり考えています。
最近のいつのまにかの日課
人の後頭部を見てその人の人となりを想像する。
ということになりつつあります。
今まで気にしてこなかったですが
移動中よく視界に入るものですから
じゃあそれなら(?)と、じっくり見ていれば
後頭部に個性があるのに気づいてきました。
もう少し研究しどこかに成果を発表してみたいものです。
というのは少し嘘です。

自分自身の後頭部が見れないのがとても残念。
見れたら見れたで、きっともっと残念なんだろう。